
西山は運命に従って高橋洋の先輩になり、運命に従って映画美学校講師となり、やがて運命に従ってホラー番長シリーズ、『運命人間』の監督となった。
西山が酔っぱらうのも運命であり、逆に言えば、運命的にしか酔っぱらえない。
そして運命は、彼が酔っぱらった時にのみ、幾分ましな発言をすることを許した。

『浦井君、よっぱらいの映画好きっすか?』
1998年9月21日(頃)我々が映画美学校二期初等科に入り、初めて西山と言葉を交わした時、彼はすでに酔っぱらっていて、そう言った。
「酔っぱらいの映画」とはなんだろう?
酔っぱらいが作った映画か、あるいは酔っぱらいを描いた映画か?
『酔っぱらいはファンタジスタである』
それが西山の見解である。「ファンタジスタ」とはなにか?
もちろん、それはいまでは誰もが知っているサッカー用語であり、ロベルト・バッジオによれば「人が思ってもみないプレーをする」「人が見たことのないプレーをする」人のことである。
以後、西山は、映画に関する話題に限らず、あらゆる話題で「ファンタジスタ」を連発し、あらゆるジャンルにおけるファンタジスタを特定することにこだわり、あらゆる問題がファンタジスタという概念の投入によって解決するかのごとき妄想を語った。
その頃、我々(僕、松村浩行、石住武史、宮田啓治、など)はよく呑んだ。実際、小学校の低学年用プール一杯分ぐらいは軽く呑んだ。
ある一定量(1L)を超えるとスイッチが入る西山は、まず目がギラギラしてきてアクションがオーバーになり、次いで(2L)言葉が暴力的になり、ほとんど横山やすしで、しらふの時しか知らない人を驚かせ、さらに呑むと(3L)、
『俺は酒を飲むと頭が良くなるんだぜ』
などと言って椿三十郎気分で若者に説教を垂れはじめる。その酔言の数々を記録した紙切れ数枚がこのたび発見された。
それがこれから紹介する『石住メモ 愛の1440日』である。主に石住(「稲妻ルーシー」シナリオ担当)が書記を担当していたので、こう名付けることにした。
しかし話しているほうも書いているほうも完全に酩酊状態(4L超)なので、今読み返しても意味の解らないものが多数あり、5リットルオーバーでのメモは完全に解読不可能となっていることをお断りしておく。
〜ソドムより
〇 また見つかった。何が?限界が、怠惰と溶け合う性格が...
解説:ランボー気分で。映画と向き合う青春の日々。誰もが...
浦井:家に来ていきなりこんなこと言い出すから、『この人キチガイや!』とおもいましたわ。
この後西山さんは、同居している僕の彼女の膝の上で延々2時間泣き崩れていました。(吐きながら)
西山:サッカーには手を使ってはならないという強大な限界が設定されている。ファンタジスタの自由は、この限界の設定によってもたらされる。
僕が彼女の膝で泣く自由も、同じ理屈で、僕に設定されたある限界を自覚的に保持しているからこその自由なのだ。どうだ?
〇 ファンタジスタ宣言
解説;ロベルト・バッジオ気分で。1999年6月頃、採択。劇映画もアバンギャルドでなければ。
浦井:ボクはルイ・コスタの方好きやな。
石住:俺はジダン!
西山:「ファンタジスタ」は一人でも、一つでもない。みな、それぞれの「ファンタジスタ」を追求している。
どうだ?
〇 お前ら『新学期操行ゼロ』観たかコノヤロー
解説:猪木気分で。
アバンギャルドも劇映画でなければ。
浦井:この台詞、新日本の道場で猪木に言われたらびっくりするでー。
『なんや、猪木。シネフィルじゃん。』って。
西山:これは格言でもなんでもない。ただの説教だろ。
〇 ショック!ショック、ショック、ショック!
解説:誰も『操行ゼロ』を観ていなかったので。
浦井:この前『やるき茶屋』で6期生にも言うてたなー... それって輪廻?
西山:輪廻ではなく、永劫回帰だ。この時点で、すでに「ショック」が4度繰り返されている。将来さらに繰り返されるであろう。
〇 めんどう力
解説:松尾すずき気分で。めんどうなことはなるべくやらない。でも、やるときはやる。
浦井:わかった!
西山さんはしらふの時、『めんどう力』を発動させて無口になってるんや。
西山;そうとも言えるし、それはただの言い方にすぎないとも言える。けれども、新しい言い方が新しい世界を開くことがあるということを、私は漫才のファンタジスタたちから学んだ。それはまた、映画言語においても同様である。
全発言:西山洋市/聞き取り:石住武史/構成:浦井崇